20,
2012
この土日で、以前から行こうと思っていた宮城県の震災被災地を訪ねてみました。
車で、石巻から入って海岸伝いに、女川、南三陸町と回りました。
石巻は大きな町で、中心部を走っているうちはほとんど震災の跡はわかりませんでしたが、海岸に近づくにつれて壁やガラスが剥ぎ取られたような家が目立ってきます。

港の隣の広大な敷地が瓦礫置き場となって、巨大な瓦礫の山がいくつも出来ているのが印象的でした。
海岸伝いに走って、女川に入ると新聞やテレビで何回も見た、倒壊した鉄筋コンクリートのビルが目に入ってきます。女川は小さな町ですが、コンクリートの建物が何棟か放置されている以外は、まったく何もなくなっていました。

3年前に平泉に行った帰り、この辺を通ったはずなのですがまったくそのときの面影はありません。
女川から南三陸町への途中にも小さな漁村が幾つもあります。たぶん民家が20戸か30戸ぐらいの村なのでしょうけれど、丘の上にある家以外はすべて津波に流されています。

南三陸町に入って、最初に目に付いたのは、廃墟のようになった志津川病院の建物でした。病院の入り口に、亡くなった人たちへの献花台が置かれていました。

町の志津川より先は、鉄骨やコンクリートの建物が残骸のように残っているほかは、建物は跡形もなく、ここは町が大きいだけにより大きな衝撃を受けます。

やはり3年前にここへきたときは、志津川の河口まで行ったのですが、その同じ場所が、地盤が下がったのか、遠くに島のように孤立していました。ここにカキの加工施設があって、車でそこまで行ったはずなのに今は海の中にあります。
車で、石巻から入って海岸伝いに、女川、南三陸町と回りました。
石巻は大きな町で、中心部を走っているうちはほとんど震災の跡はわかりませんでしたが、海岸に近づくにつれて壁やガラスが剥ぎ取られたような家が目立ってきます。

港の隣の広大な敷地が瓦礫置き場となって、巨大な瓦礫の山がいくつも出来ているのが印象的でした。
海岸伝いに走って、女川に入ると新聞やテレビで何回も見た、倒壊した鉄筋コンクリートのビルが目に入ってきます。女川は小さな町ですが、コンクリートの建物が何棟か放置されている以外は、まったく何もなくなっていました。

3年前に平泉に行った帰り、この辺を通ったはずなのですがまったくそのときの面影はありません。
女川から南三陸町への途中にも小さな漁村が幾つもあります。たぶん民家が20戸か30戸ぐらいの村なのでしょうけれど、丘の上にある家以外はすべて津波に流されています。

南三陸町に入って、最初に目に付いたのは、廃墟のようになった志津川病院の建物でした。病院の入り口に、亡くなった人たちへの献花台が置かれていました。

町の志津川より先は、鉄骨やコンクリートの建物が残骸のように残っているほかは、建物は跡形もなく、ここは町が大きいだけにより大きな衝撃を受けます。

やはり3年前にここへきたときは、志津川の河口まで行ったのですが、その同じ場所が、地盤が下がったのか、遠くに島のように孤立していました。ここにカキの加工施設があって、車でそこまで行ったはずなのに今は海の中にあります。

















