僕の違和感
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トルコの作家、オルハン・パムクの最新作「僕の違和感」(宮下遼訳・早川書房)を読みました。最新作といっても2年前の作品ですが、彼にとって9冊目になる長編小説です。

1950年代に、アナトリアの農村から父親とともにイスタンブルに出てきた主人公のメブルトが、いとこの結婚式で、新婦の妹に一目ぼれして、彼女と駆け落ちするところから物語は始まります。

いとこたちと3人の姉妹のもつれた恋の話が物語の縦糸となって、恋愛小説として読むこともできますが、この物語のもう一人の主人公はイスタンブルという都市と言うこともできます。

主人公のメブルトは、父の仕事を継いで、ボザというトルコの伝統的な飲み物を売り歩く行商人となり、夜のイスタンブルの街の裏道から裏道へと歩いてゆきます。
そこでは、50年代から現在に至る、イスタンブルの街の変遷と、人々の生活の変遷が、街を歩く者の視点から克明に描きだされています。

晩年に彼は自分の頭の中を巡り歩いているような気がするからこそ夜の街を歩き続けてきた、自分自身と話しているように思えるからこそ、壁や広告、影、あるいは暗闇の中にあって判別のつかない不可思議で神秘的な事物たちと言葉を交わしてきたのだと気が付きます。

パムク小説では、度々イスタンブルという都市が大事な役割を果たしています。彼には「イスタンブ―ル ―思い出とこの町」というイスタンブルについて書いた素晴らしい本もあります。その中で、イスタンブルを表すのに一番ふさわしい言葉は「ヒュスン」だと言っています。ヒュスンとは哀愁という意味のようですが、オスマン帝国の栄光から没落した都市として、街の隅々に哀愁が漂っているのだといいます。

この小説の最後で、すでにボザなどだれも飲まなくなり、すたれた職業になっても、「ボーザー」と声を張り上げて、イスタンブルの裏町を歩くメブルトの姿には、このヒュスンという言葉が重なるように感じます。
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時間と空間の旅
前回、都市の歴史に関する本を4冊読んだ話を書きましたが、僕がこれらの本に魅かれるもう一つの理由は本を通じて、時間と空間を旅することが出来るからではないかと思います。

現実には空間は旅することが出来ても時間を旅することは出来ません。
空間を旅すると言っても、新宿へ行ったり日本橋へ行くことは簡単にできますが、イタリアへ行くとなるとちょっとハードルが高いですね。それでも行くことは出来ますが、時間を旅するとなるとタイムマシンが発明されるまでは無理です。
しかし本の中ではちょっと想像力を働かせればそれが可能となるのです。

僕が普段読む本はほとんど小説なのですが、小説や映画もそういう意味では時間と空間を旅することが目的のひとつかもしれません。
ただ少し違うのは、前回紹介した本は現実の都市を調査して書かれているので、より現実に近いと言えるのかもしれません。
例えば、樋渡彩さんの本を読んでいて、ヴェネツィアに流れ込む川の上流の小さな町の16世紀の様子、そこの住宅のプラン、水車を利用した産業、山から切り出した材木を筏に組んで運搬する人々の様子等を読んでいると自分が16世紀にその町を歩いているような錯覚にとらわれます。

もっとも、旅をするということ自体の中にすでに時間の旅が含まれているのかもしれませんね。旅先で古代の遺跡を見たり、古い寺院や建築を見ること自体が時間の流れを体験していると言えるのかもしれません。

4冊の本を読んで、そんなとりとめもないことを考えていました。
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都市の歴史
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去年の秋から今年にかけて、都市史に関係する本を4冊続けて読みました。

法政大学の建築学科には陣内秀信さんという都市史の教授がいるのですが、今年で退任するということで、いろいろとお話を聞く機会が多くありました。
そこで陣内研究室の卒業生とも会う機会が自然と多かったのですが、卒業後、研究者として本を書いている人が多いので、彼らの書いた本を読んでみました。

稲葉佳子さんの「台湾人の歌舞伎町」は戦前に日本へ来て、戦後そのまま残り、新宿歌舞伎町の発展に関わった台湾人の人たちを丁寧に取材して書かれた本です。10年掛かって取材を続けたというだけあって、歌舞伎町の街の変遷を詳しく調べ上げた労作でした。

岡本哲志さんの「川と掘割20の跡を辿る江戸東京歴史散歩」は、江戸初期から明治、大正、昭和にかけて東京中に張り巡らされていた水路の変遷を辿る、とても興味深い本でした。江戸から明治にかけては水路は重要な交通運搬の手段でしたから、東京中に水路がめぐらされていたのですが、関東大震災、太平洋戦争の空襲の瓦礫処理のため、また高度成長期の首都高速道路に利用されることでそのほとんどが埋め立てられています。でも、結構その痕跡が今でも見ることが出来るということで、写真と図面で丁寧に説明されています。僕は子供のころにこれらの水路を見た記憶があるので、興味深く読むことが出来ました。

クリエーティブローカルと題されたエリアリノベーションの海外編は、この中の一章、イタリアのアルベルゴ・ディフーゾについて、中橋恵さんが書いています。僕は2年前に中橋さんの案内でアルベルゴ・ディフーゾを3カ所ほど訪ねているので、楽しく読ませてもらいました。日本より一足早くヨーロッパの都市は衰退期に入っているのですが、これをネガティブに考えず、クリエーティブにとらえて行こうという視点がこれからの日本の都市を考えるうえでも大切な視点だと思いました。

樋渡彩さんの「ヴェネツィアのテリトーリオ」という本は、ヴェネツィアの繁栄の陰には、その陸地側との関係が大きかったということを調査した本です。後背のアルプス山地からアドリア海に流れ込む3本の川とその支流沿いの町々の産業と、川を下る材木がヴェネツィアを支えていたということ。今までヴェネツィアというと、東方貿易で栄えたという面が強調されてきましたが、それだけではないことが良く解る本です。
現地でのフィールドワークに加えて、膨大な量の資料を調べ上げて、実に緻密に論考を重ねた労作でした。

同じ大学の建築学科の卒業生ですが、我々のように実務的な仕事をしている人間とは少し違って、地道に丹念に研究を重ねてゆく仕事ぶりには本当に感心させられます。

困ったことに、これらの本を読んでいるうちにまた旅に行きたくなりました。
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「建設中。」写真集
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先日、写真家の勝田尚哉さんが「建設中。」という写真集を出版され、記念の展覧会とパーティーがあったので行ってきました。

出来上がった建築の写真は、雑誌などで見ることができますが、工事中の建物の写真を見ることはあまりありません。
我々も自分の設計した建物の工事中、まだ完成していない状態が美しいと感じることはよくあるのですが、このような現場は、関係者でないとなかなか見ることができません。特にここに出てくるような、超高層ビルの中とか、駅の地下工事現場、トンネルの中などは普段はまず見ることのない世界です。

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時々ハッとするような美しい写真があって、説明がなくとも芸術作品として十分に通用するのですが、ここには驚くほど専門的な解説がついています。
実は勝田尚哉さんは元々、大手ゼネコンの技術者で、その会社を退社してプロの写真家になったという経歴の人です。建築に対して全くの素人であったら、ここまで突っ込んだ写真は撮れないのではないかと納得しました。
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ニューマイヤー/104歳の最終講義
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5年前に104歳で亡くなったブラジルの建築家、オスカー・ニューマイヤーの死の直前に書いた本「ニューマイヤー 104歳の最終講義」を読みました。

ニューマイヤーは、日本ではブラジルの首都、ブラジリアの設計や、ニューヨークの国連ビルの設計で良く知られた建築家です。
ニューマイヤーが100歳の時に日本の建築雑誌がインタビューをした記事を読んだことがあり、100歳を超えても現役で活躍していることに驚いたのですが、そのまま104歳の死の直前まで、毎日奥さんに付き添われて事務所へ通って、所員たちに指示を出したり、あたらしい設計のスケッチをしていたそうです。

ニューマイヤーは、若いときから人間は等しく平等であり、建築はそのためにあるのだと考えていたようで、終生その考えは変わらず、100歳を超えても世の中の富の偏在、格差社会を憂いています。自分の後に続く若者たちが、この困難な社会の中でも希望をもって前に進んでほしいという願いがこの本には込められています。
ここでは、自分の今までに設計した建築について書いていますが、過去を懐かしむというよりは自分の通ってきた道を示すことによって、あとに続く若者たちを鼓舞しているようにも思えます。

100歳を超えた巨匠が、死を恐れるよりも、いかに生きるかということの方が大事だと言っていることには感動を覚えます。
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