ニューマイヤー/104歳の最終講義
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5年前に104歳で亡くなったブラジルの建築家、オスカー・ニューマイヤーの死の直前に書いた本「ニューマイヤー 104歳の最終講義」を読みました。

ニューマイヤーは、日本ではブラジルの首都、ブラジリアの設計や、ニューヨークの国連ビルの設計で良く知られた建築家です。
ニューマイヤーが100歳の時に日本の建築雑誌がインタビューをした記事を読んだことがあり、100歳を超えても現役で活躍していることに驚いたのですが、そのまま104歳の死の直前まで、毎日奥さんに付き添われて事務所へ通って、所員たちに指示を出したり、あたらしい設計のスケッチをしていたそうです。

ニューマイヤーは、若いときから人間は等しく平等であり、建築はそのためにあるのだと考えていたようで、終生その考えは変わらず、100歳を超えても世の中の富の偏在、格差社会を憂いています。自分の後に続く若者たちが、この困難な社会の中でも希望をもって前に進んでほしいという願いがこの本には込められています。
ここでは、自分の今までに設計した建築について書いていますが、過去を懐かしむというよりは自分の通ってきた道を示すことによって、あとに続く若者たちを鼓舞しているようにも思えます。

100歳を超えた巨匠が、死を恐れるよりも、いかに生きるかということの方が大事だと言っていることには感動を覚えます。
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年末に読んだ本
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昨年末からお正月にかけて、続けて3冊の本を読みました。

「単純な脳、複雑な私」(池谷祐二著)、「禅と日本文化」(鈴木大拙著)、「ミケランジェロ」(木下長宏著)。
特に意図的に選んだわけではなく、一見お互いに関係のない内容の本のようですが、続けて読んでいるうちに意外なところで共通点があることに気が付いて、不思議な気持ちになりました。

「単純な脳、複雑な私」は薬学博士で脳の研究者である池谷祐二さんが、母校の高校生9人を対象に脳の仕組み、働きを3回にわたって講義したときの記録です。分かり易く話されているとは言え、かなり高度に科学的な内容で、高校生たちがそれを素直に理解していることにも驚かされます。
そして脳の働き、人間の心の在り方は、思っている以上に不思議な世界であること、あるところからは哲学的な世界に入ってしまうところがあります。
我々が意識していることは、実は我々が意識できない無意識の世界に多くを支配されているようです。

鈴木大拙の本は、日本の美術、武道、茶道、俳句などの文化は多くは禅の影響を受けている、として、そこにおける真理とは知的な作用や体系的な学説からもたらされるものではなく、体験からくる直観によるといっています。
ここで述べられている直観は、無意識の世界、禅でいうところの絶対的な無の世界につながっているところが面白いと思います。
鈴木大拙は、禅は精神に焦点を置く結果形式を無視する、科学とは正反対の思考であるといっています。しかし、科学自体が昔とはずいぶん変わってきて、あるところから先へ進むと禅の精神に非常に近いところが出てくるように思われます。

3冊目の木下長宏さんの本では、ダヴィンチとミケランジェロを比較して、ダヴィンチをコスモスケープの人、ミケランジェロをカオスケープの人と評しています。ダヴィンチは秩序を重んじた科学的精神の人と考えられますが、ミケランジェロは世界は否応なしに混とんの中にあると考えていたようです。
ミケランジェロ最晩年の彫刻、ロンダニーニのピエタでは、大理石の中からキリストとマリアが途中まで掘り出されたところで止まっています。これは未完成なのではなく、ミケランジェロの中では、作品を完成させることが目的なのではなく、そのままあるがままにピエタによって表現される世界を表すことだけが目的だったのではないかと思えます。
そう考えると、形式を嫌い、精神を裸出して、孤絶性、孤独性に還ると、大拙が書いている禅の精神にとても近いものをミケランジェロの中に感じることができます。

ちょっとこじつけのように感じられるかもしれませんが、この3冊の本を読んでそんな感じを受けました。
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「キリストはエボリに止まりぬ」
キリストはエボリに止まりぬ

カルロ・レーヴィの「キリストはエボリに止まりぬ」(清水三郎治訳・岩波書店)という本を読みました。

カルロ・レーヴィは、画家で小説家で医師でもあったイタリア人ですが、1934年に反ファシスト運動の疑いで逮捕され投獄されたのち、イタリアの最南端、ガリアーノ(現マリアーノ)という山間の小さな村に幽閉されることになります。
書名となっているエボリはサレルノの近くの街ですが、キリストはここまで来て、そこから南へは行かなかった。つまり神にも見放された土地という意味です。

レーヴィはガリアーノに3年間幽閉されて、その間に見たことをつぶさに記録した書いたのがこの本です。
この地での農民たちの生活は悲惨を極め、荒れた田畑からはわずかな作物しか取れず、子供たちはいつも飢えているうえに多くはマラリアに罹って靴も履かずに裸足であったと書いています。
村人は中世以前から変わらぬ生活を送っているようで、呪術師が病気を治したり、魔女が人を呪い殺したりすることがいまだに信じられているような世界でした。

市長や警察署長などの上流階級はみんな当然ファシストで中央政府の言いなりだったのですが、農民たちにとっては政府などは関係なく、ローマは外国の街のように感じていたと書いています。それだけ、大都会とは切り離された、忘れられた土地だったということですが、多かれ少なかれ、南イタリアの街はどこでもそのような状態に置かれていたようです。
南北イタリアの格差問題はその後も続き、ごく最近まで、いや今でも完全に解消されているわけではないといわれています。

村には何人か医者はいたのですが、村人は地元の医者を信じてはいなかったので、医者でもあったレーヴィのもとをたびたび訪れ、そんなことから彼と村人の間には信頼関係が築かれていったようです。
レーヴィはここでの3年間が自分の思想を作りあげたといっています。南北問題は、ファシズムでも社会主義政権でも机上の理論では解消できない、農民の生活の中から考えてゆかなくてはいけないということに気が付いたと書いています。

80年まえのイタリア南部の生活がどのようなものであったのか、そこからレーヴィが何を学んでいったのか、興味深い本でした。
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「立原道造の夢見た建築」
立原道造の夢見た建築


僕の大学の後輩にあたる種田元晴さんが「立原道造の夢見た建築」(鹿島出版会)という本を出版したので読んでみました。彼は建築の歴史を専門とする若き研究者です。

立原道造は詩人として有名なのでご存知の方は多いと思いますが、彼が建築家であったことを知っている人は少ないのではないでしょうか?その建築家としての立原道造に焦点をあてて書かれたのがこの本です。

著者である種田さんは、立原の建築作品、そのためのスケッチ類、詩作のみならず、絵画友人たちとやり取りした書簡等を丁寧にしらべて、彼の生涯を浮き彫りにしています。
立原道造は24歳という若さで夭折していて、建築家として活躍したのは学生時代と卒業後就職した石本喜久治建築事務所を合わせてもたった4年間という短い期間でした。
立原が筆まめで、短い生涯に多くの文章を残しているとはいえ、著者にとってこれだけの内容の本を書くのは並大抵の努力ではなかったはずと感じました。

どちらかと言えば地味なテーマのこの本を読者に最後まで読ませる文章力にも感心させられました。

80年ほど前のこととはいえ、すでに歴史の中に埋もれて、綿密な調査をしても解らなかったことも多かったはずです。この本の魅力の一つはそのような未知のことに関して著者が縦横に想像力を発揮して、読者を納得させる文章にあると思います。
それは、立原の「無題{浅間山麓の小学校}」の透視図とセザンヌのサント・ヴィクトワール山との類似に及ぶくだりや、同じ「浅間山麓の小学校」と丹下健三の「大東亜建設忠霊神域計画」との比較などに大きくみられるのですが、もっと些末な部分にもいたるところに見られます。
例えば、追分に滞在しているときにはじめて一学年下の大江宏と会ったことを友人にあてた手紙の中で、最初は「大江さん(父の新太郎)の子供が来ているよ。宏って建築の人」と、他人行儀に語っていながら、1か月後に大江宏が帰った後には、「昨日、大江宏君が、東京に帰って行った」という言い回しから、著者はどこか祭りの後のような寂しさを感じると書いています。この1か月の間の立原と大江の交流を示す資料が何もなくとも読者には、一瞬にして二人の関係を想像させる卓越した表現ではないでしょうか。

この本の中に現れる、多くの人々と立原との関係の中にこのような場面が数多く用意されていて、それがこの本を無味乾燥な研究書以上のものとして、読者を最後まで引っ張ってゆく力となっているのだと思いました。
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旅の支度
旅の準備に読んだ本など


設計にこの一年間かかりっきりだった、川崎市の建物の建設会社との請負契約を昨日無事済ませました。

医院と住宅に貸事務所などの入る、大きな建物なので設計には時間がかかりました。今年の初めには設計は終わって、建設会社を選定も順調に進んだのですが、工事金額もかなりの額になるので契約まで慎重に交渉を進めていました。
解体工事の関係で、着工できるのは6月です。ということは1か月ちょっと余裕の時間が出来るということなのでその間に旅行に行くことにしました。丁度ゴールデンウイークもあるので、これに絡めて少し長い旅をしてみたい。ということで、未だ行ったことのないナポリとシチリアへ行くことにしました。

旅の仕方は人によって2つの流儀があるように思います。一つは現地での体験を新鮮なものにするために一切の事前の知識を入れないようにするタイプ。このタイプの人はカメラも持って行かないか、持って行ってもあまり写真は撮らない。写真に残すのではなく、見たものを自分の頭の中にしっかりと刻み込むというわけです。
これはとても正しい考え方だと思うのですが、僕は全くその反対。事前にいろいろな本を読み漁って、十分な知識を頭に叩き込んでおく。現地ではかなり丹念に写真を撮りまくる。
一つには、ファインダーを覗いてシャッターチャンスを狙うという行為は、その対象をしっかりと見ることにもなるので、それだけものがよく見えて記憶にも残るということもあります。
というわけで、ここの所写真にあるような本を次から次へと読んでいます。

まずは、「地球の歩き方―南イタリア編」。旅行の計画を立てるのには便利な本です。

そして、ゲーテの「イタリア紀行」。200年以上前に書かれたものですが、ゲーテは実に詳しく日記を付けていて、その記述も詳細なので、当時のナポリ、シチリアの様子や風俗がよくわかります。

それから和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」。これも90年ほど前に書かれたものですが興味深い記述がたくさんあります。

高山博著の「中世シチリア王国」。これは中世にシチリアに一大王国を築いたノルマン王たちの話で、シチリアの歴史を知るうえで格好の一冊でした。旅をするときにその場所の歴史を知るということも大事なことですね。

そして陣内秀信さんの「南イタリアへ!」と「シチリア」。イタリアの都市の成り立ち方を語らせたらこの人の右に出る人はいないということで、一番頼りにしている本です。

「わんぱくナポリタン」という本は、ナポリ近郊の小さな町の子供たちの作文集ですが、言いたいことを何でも自由に書く、子供たちの話に思わず声をあげて笑ってしまう楽しい本です。南イタリアとはこんなところだろうなということが良くわかる本でした。

今月の末から2週間ほどの旅ですが、どんな旅になるのか今からわくわくしています。
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