大庭さんのオープンハウス
土曜日は、午後から大庭明典さんの設計した家のオープンハウスへ行きました。

京王線のつつじヶ丘から、歩いて20分ほど、坂を上って、又下ってと、起伏のある住宅街を歩いてゆくと、黒いガルバリューム鋼板を壁に張った家がありました。
玄関ふたつが中でつながる様になった、二世帯住宅でした。
勾配天井の居間

2階は、片流れの屋根に合わせて、天井が斜めに貼られて、のびのびとして気持ちよい空間になっています。高い方の北側にトップサイドライトが設けられて、柔らかな光が十分に入ってきます。
トップサイドライト

太陽熱を利用した、パッシブソーラーを設置しているということで、その業者の担当者も来ていたので、詳しく話を聞くことが出来ました。
これだけで暖房が足りるわけではないので、足りない分、又はお天気の悪い日は電気のエアコンを使うということです。そのぐらいに緩く考えた方が良いのかもしれませんね。それでも確実に、暖房に使うエネルギーが減るのであれば、メリットはあるのだと思います。

帰りにちょっと疲れたので、つつじヶ丘の駅前でお茶でも飲んで一休みと思ったのですが、お店が少なく、一軒だけあったドトールも満席でした。なんとなくのんびりした町です。

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「贋作我輩は猫である」―内田百
猫のアビシニアではなく、我が家の猫の後姿

内田百の「贋作我輩は猫である」を読みました。
漱石の「吾輩は猫である」の最後で、ビールに酔っ払って水瓶に落ちて死んだはずの我輩が、甕から這い出て生きていたという話で、贋作と言うよりは続編ですね。

我輩は、苦沙弥先生の家には戻らず、五沙弥と言う入道頭の家に迷い込んで、そこに居着いてしまい、アビシニアと言う立派な名前までもらいます。
この五沙弥先生は、ドイツ語の先生で、苦沙弥先生と違って、無類の酒好きで毎日のように、友人、教え子が遊びに来ては、酔っ払って、訳のわからない話をして帰る。それを猫のアビシニアが、あきれ返って見ているという趣向になっています。
この五沙弥先生は、もちろん百自身がモデルですが、その弟子達とのやり取りが、相当に可笑しい。丁度、落語の長屋の大家さんと、熊さん八さんの会話のようですが、大学教授と、卒業生だけに会話が高等なようで、ドイツ語が飛び交ったりする所が、妙に笑えてしまいます。

中に一編、金貸しの親父が来て、訳のわからないことを話して帰る話しがあります。これは、全く理解できない会話なのですが、実は後からその男が何年も前に死んだ男だと気が付く、と言う落ちがあって、いかにも百らしい怪奇譚になっています。百の話しには、シュールで不条理な所があるようです。

内田百は、漱石の最後の方の弟子ですが、文学者としての漱石に相当心酔していたようで、この小説も題材を借りているだけでなく、文章も漱石の影響を受けていることがよく解ります。
軽妙洒脱とは、このような文章を言うのだと思います。独特のユーモアがあって、読んで一拍おいてから笑いが込み上げて来るような、リズム感は、落語のような、日本の話芸の伝統を受け継いでいるような気がします。
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フェイスブック始めました
先週からフェイスブックを始めてみました。
ここのところ、創始者の物語が映画化されたり、チェニジアやエジプトの政変でずい分有名になりました。

実際に始めて一週間なので、まだ使い方の解らないと頃がありますが、どうにか書き込みをするぐらいは出来るようになりました。
最初の設定で、出身学校や、趣味を書き込むと、関係のありそうな人が友達候補として出てきます。すでに登録している友達が何人か出てきたので、友達に登録しました。さらにその関係の友達が出てきたり、初めての人から、友達になりたいという問い合わせが来たりと、今のところ15人ぐらいの人が友達になっています。ほとんど、と言うか全員建築関係と言うところが偏っていますが。
僕と同じ様に、ごく最近始めたばかりと言う人が多くて、みんな戸惑いながらやっているという感じがします。

ツイッターをやっている人には、不自然なところは無いのでしょうが、友達になった人の行動がどんどん情報として入ってくるのは、ちょっと奇妙な感じがします。慣れるまでに少し時間が掛かりそう。
去年暮れに、携帯電話をiphoneに換えたので、携帯電話でチェックしたり、書き込んだりと言うことも、割りと簡単に出来ます。
もう少し慣れたら、まめに書き込もうと思っているところです。
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category:日記
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シュルレアリズム展
シュルレアリズム展

土曜日は、国立新美術館で開催中のシュルレアリズム展に行ってきました。

全部で170点の作品が展示されているという、なかなか充実した展覧会でした。
土曜の午後と言うこともあって、だいぶ混雑していましたが、それでも並ぶことも無く作品を堪能できました。
僕は、学生の頃からダダやシュールが好きでした。特にシュールは、夢や潜在意識をテーマにしているとはいえ、基本的には具象絵画なので、解り易いと言うこともあります。
今回は、少し幅広く、ジョアン・ミロやジャクソン・ポロックの作品も楽しめます。

僕が特に気に入ったのは、イヴ・タンギーの「岩の窓のある宮殿」。いままで写真でしか見たことが無かったのですが、実物は写真よりもずっと柔らかく、立体感のある絵でした。

カフェ

熱心に見て疲れたので、2階にあるカフェで一休み。前にも書いた記憶があるけれど、この美術館は、絵を見るだけでなく、ホールが広くレストランやカフェも充実していて、ゆっくり時間を過すことが出来ます。
ケーキセット

注文した、コーヒーとフルーツケーキのセットは、ケーキも大きく食べでがあり、コーヒーのお代わり自由で800円とリーズナブルです。おかげで、本を読んだり、ホールを行き来する人を眺めたりしながら、だいぶ長居をしてしまいました。
久しぶりにのんびりした、土曜の午後でした。
ホールを歩く人
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成田の現場―インナーサッシ取り付け等
昨日は、成田のリフォームの現場へ行きました。
この家は22年前に僕が設計した家なのですが、その時も今回のリフォームの打ち合わせも毎回車で来ていたので、電車で行くのは初めて。
日暮里から最寄の宗吾参道駅までは京成成田線で40分ほど、実は車で来るよりもずっと簡単なことがわかりました。
宗吾参道駅

宗吾参道は、義人として有名な、佐倉宗吾の霊廟があるところです。
駅前は、実にのんびりした景色です。ここから現場までは歩いて20分ほど。

現場では、朝からやっていた、インナーサッシの取り付けが終っていました。既存のサッシの枠の内側に、あらかじめ採寸して製作したインナーサッシをビスで留めて取り付けるだけなのでいたって簡単です。
今回は、飼っているワンちゃんの鳴声がご近所の迷惑にならないようにと言う、防音が主目的ですが、もちろん断熱効果もかなり上がるはず。2階の窓全てに取り付けたので、住宅版エコポイントもかなり付きます。
ただ、デザイン的にはサッシ枠が二重に見えることと、開け閉めが二重になるのが少し気になりますが。
インナーサッシ


小さな窓にはインナーサッシではなく、ガラスをペアガラスに取り替えるようにしました。ただ、ペアガラスは厚みが厚くなって、そのままでは古いサッシに取り付けできないので、アルミのアタッチメントを付けています。その為にぐるりと1cmほど枠が廻って、ガラスが小さくなっていますが、あまり気になりませんでした。
アタッチメント付きペアガラス


お風呂も浴槽が古くなって、傷が目立つので取り替えることにしました。床のタイルも、表面に付着したガラス質で、滑りやすくなったということなので、ついでに貼りかえることにしました。
浴槽取り替え工事

ここのご主人は体が大きいので、お風呂は広くとってほしいという要望が元々あったので、3畳ほどの広さがあります。今見ても、広々として気持ちよさそうです。新しい浴槽と、タイルの仕上がりが、楽しみです。
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category:建築現場
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セラフィーヌの庭
セラフィーヌの庭

フランス映画、「セラフィーヌの庭」を観ました。
実在した女性画家、セラフィーヌ・ルイを描いた映画です。
第一次世界大戦が近づく、パリ郊外の町で、彼女は何軒かの家の家政婦を掛け持ちしながら、かろうじて生計を立てています。敬虔なクリスチャンである彼女は、神から絵を描くようにという啓示を受けたとして、毎夜、寝る時間を惜しんで絵を描いています。
そんな彼女を、町の人々はあざ笑い、子どもの絵のようだと相手にしませんでした。
ある日、パリから移り住んできた、画商のウイルヘルム・ウーデは、家政婦に雇った彼女の絵を見て、それが本物の絵であることを見抜きます。ウーデも実在の画商で、ピカソや、アンリ・ルソーを見出した人です。
戦争をはさんで、いったん離れ離れになった、二人は、戦後に再会して、彼は彼女の絵をパリの画壇に紹介し、大きな反響を呼ぶようになります。
絵が売れるようになり、次第に裕福になってゆくにしたがって、彼女は、奇行が目立つようになります。やがて精神を病んで病院に収容され、再び世に出ることはできなかったと言うことです。

セルフィーヌ役の女優がセルフィーヌそのものになりきった、素晴らしい演技を見せ、この映画の大きな魅力になっています。
さらに映画に魅力を与えているのは、画面の美しさと言えると思います。
映画を観ながら、いくつものシーンで、この画像を切り取って額に入れたら、そのまま絵になりそうだと思ったものです。
彼女が、暗い部屋で蝋燭の光の下で絵を描くシーン。彼女の顔半分が蝋燭の光に浮かび上がるカットなどは、ちょっとフェルメールの絵を連想します。
最期に、ウーデの計らいで、病院の外に出た彼女が、野原の向こうにある大きな木に向かって歩いて行きます。カメラは遠くから固定したままで長いシーンを取り続けます。
やがてその木にたどり着いた彼女は、大きく枝を伸ばした木の下に、持っていた椅子を置いてゆっくりと腰をかけます。
カメラは遠くから、野原と空と一本の大きな木と、その下に小さく見えるセラフィーヌを見つめたまま、やがてフェードアウトして、映画は終わります。
とても美しいエンディングでした。
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category:映画
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擬似孫?
小金井に15年ほど前にリフォームの仕事をして以来、お付き合いしている御施主さんがいます。
70代のご夫婦で、お子さんもいないので、一時は家を売って、故郷へ帰ると言う話しもあったのですが、やはり一生この家に住むことにしたということで、去年耐震補強の工事をしました。

家を売ることを思いとどまった最大の原因は、「擬似孫が」出来たこと。
擬似孫って何?
この家は、行き止まりの私道に面して、3軒の家が建っているのですが、後の2軒が世代が変わり、若いご夫婦に小学生の子供達がそれぞれ3人と、急に若返って、人口も増えたわけです。
行き止まりの私道は、子供達の格好の遊び場で、とてもにぎやかです。
その子供達が、いつの間にか、このご夫婦の所へ遊びに来るようになり、やがて3軒の家の交流が始まりました。
子供達が遊びに来るのを楽しみに、ご夫婦はおやつを用意したり、おもちゃをそろえたり、又、3家族一緒にクリスマスパーティーや、食事会と言うお付き合いが始まりました。
家の中には、子供達の写真が飾ってあったり、まるで本当の孫のように可愛がっています。

去年、耐震工事のついでに、私道に面した、低いブロックベイを撤去しました。おかげで、ますます、子供達は来易くなったのと、向かいの家の玄関が正面に見えるので、防犯上もとてもよいと喜んでいます。

防犯のこと、子供の教育、老人問題など、世の中には難しい問題が色々ありますが、その為に特別な設備を設けたり、お金のかかる施設を設けるよりも、このような小さな地域のコミュニティーが一番良い解決策だと、つくづく思いました。
Posted by kozyken
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