ローテンブルグ・デル・タウバー
僕の大学の先輩に当たる人が、つい先日ドイツを旅行してきたので、お会いしていろいろと旅行の様子を聞きました。
その中で、ロマンチック街道にあるローテンブルグの写真を見せてもらった時、40年前に僕がローテンブルグに行った時に撮った写真と同じアングルで撮った写真があるのに気づきました。
その最近の写真と、40年前の写真を比べて見て驚いたのは、細部にいたるまで全く変わっていないことでした。

最近のローテンブルグ

40年前のローテンブルグ

上の写真がほんの2ヶ月ほど前に撮られた写真で、下が僕が40年前に同じ場所を撮った写真です。新しい写真の方が幾分色が鮮やかなのは、写真のせいか、塗装の塗り直しをしているせいかもしれませんが、色調もまたく同じ、建物は細部にわたるまで一つとして変わっているところはありません。
ドイツに限らずヨーロッパでは古い調和のとれた街並みを大切にして、単に利便性や経済性で建物を建て直す事はしません。それが、町の魅力となって多くの観光客をひきつけているのだろうと思います。
日本では、京都のような世界的に有名な街でも、簡単に建物が壊されて新しくなってゆくのとはだいぶ違っています。
このローテンブルグ一帯は、同じような古い町がいくつも残っています。それらの町を繋ぐ道をロマンティック街道と名付けて、観光バスで巡る観光ルートになっていて、世界中から人が集まってきます。

城壁から町の外を見る。タウバー川にローマ風の橋が架かっている。

この写真は、ローテンブルグの町を取り巻く城壁の上から町の外を撮ったものですが、タウバー川の渓谷の向こうに森の広がる美しいところです。
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玄関ドア
少し前に知人の家の玄関ドア取替えを頼まれていたのが、取付を完了したというので土曜日に確認のために伺ってきました。

建物は鉄筋コンクリートの2階建てで、二軒で一つの建物になっている、いわゆるタウンハウスです。50年ほど前に、同じような建物が並ぶ団地として計画されたものですが、今では、それぞれの家のオーナーが思い思いに増改築をして、各家の庭にも植物が生い茂っているので、同じ形の家が整然と並んでいるという印象はありません。50年と言う歳月を経て、良い感じの町並みになっています。

もともとから付いていたスチールのドアがだいぶ傷んできたので、木製のドアに変えられないかと相談を受けました。
元のスチールドア

周りの住宅も、何軒かドアを変えていますが、ほとんどがアルミドアで、木製で注文したものは見当たりません。既製品のアルミドアの方が手軽に変えられて、値段も安いということが理由だと思いますが、もともと建具屋さんに頼んで木でドアを作るという発想が今ではないのかもしれません。

スチールドアを外して、コンクリートと一体になっているスチール枠は残し、そこにかぶせるように木枠とドアを付けるように納まり図を書いた上で、いつも家具を頼んでいるCampの木戸君に頼んで作ってもらいました。
製作した木製の玄関ドア

普通のドアは厚みが40mmほどですが、僕はいつも55mmと少し厚く作ります。家を守る玄関ドアとしては厚くて、少し重いぐらいの方が感覚的に安心感が出ます。この家では納まりの関係で50mmにしましたが、それでも結構しっかりした感じがします。
ドアの内側には郵便箱を取り付けて、透明なアクリル板を張り、どんな郵便が来ているのか直ぐに解るようにしました。
50mmの厚みと、内側に郵便受け

依頼者された知人からは、閉まる時の音が重厚でとても気に入っていると言われました。
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シナン
シナン

夢枕獏の小説「シナン」(中公文庫)を読みました。

ミマール・シナン。ご存知でない方が多いかもしれませんが、16世紀トルコの天才的な建築家です。
実はそういう僕も恥ずかしながら、去年イスタンブールへ旅するまではよく知りませんでした。
しかし、イスタンブールの旧市街、金角湾を見下ろす丘の上に建つ、スレイマニエモスクを見たときに言葉で表せない感動を覚えて、この建築家が歴史の中でイタリアの建築家に勝るとも劣らない位置を占めていることに気が付いたのです。

物語は、若きシナンがイエニチェリと言われる、皇帝直属の精鋭軍隊に入り、建築の分野で徐々に頭角を現し、やがて宮廷主席建築家として数々の名作を残してゆく話ですが、最盛期のオスマントルコと聡明な皇帝スレイマン、そして陰謀の渦巻く宮廷の話が複雑に絡み合って、息つく暇も与えずに一気に読ませる面白さがあります。

多分建築に全く興味が無くても十分に面白い本なのですが、夢枕獏がシナンの建築から感じる感覚と、イスラム文化と宗教に対する考え方がしっかりと表現されていて、読み進むうちに読者がシナンの建築について一つのイメージをつかむことが出来るところがとても良いと感じました。

後書きで著者自身がキリスト教とイスラムを比較してこう言っているところがあります。
神について考えるときに、キリスト教徒は人間の形をしたキリストや聖人の像を思い浮かべるだろう。しかし偶像崇拝を禁止されているイスラム教徒は、球体としてイメージするのではないか、それはそのまま宇宙のイメージであり、モスクの丸いドーム屋根に繋がって行くのではないだろうか。

イスタンブールには、オスマントルコが征服する1000年も前にビザンチンの建築家によってつくられた壮大な教会建築、アヤ・ソフィアがあります。僕はイスタンブールでいくつものモスク建築を見ながら、基本的な形がこのアヤ・ソフィアと同じことに疑問を感じていたのですが、この本を読んで納得がゆきました。
アヤ・ソフィアの空間に畏敬の念を感じていた、シナンが長年の研究の末にアヤ・ソフィアを念頭に置いてより普遍的な神に近い空間として考えたのが彼のモスク建築なのです。そしてその後もトルコのモスク建築は偉大なシナンに倣うようになったということなのです。
シナンが本格的にモスクを作るようになるのは50歳を超えてからですが、100歳まで生きて、トルコ中に400を超える建物を作ったそうです。
作中、ベネチアでミケランジェロとシナンが会うシーンがあります。これはフィクションでしょうが、二人は同時代人で同じころにミケランジェロはサンピエトロ寺院の巨大なドームを設計していたことを思うと不思議な感慨に襲われます。

シナンの最高傑作と言われる、イスタンブールのスレイマニエ・モスクについて、僕のHPでも詳しく紹介していますので宜しければそちらも見ていただければと思います。
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アルゲリッチ 私こそ音楽
アルゲリッチ 私こそ音楽

この土曜日は久しぶりに劇場で映画を見ました。
ピアニストのマルタ・アルゲリッチの娘さん、ステファニーが映画監督で、母であるアルゲリッチを撮ったドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ音楽」(原題 Bloody Daughter)

アルゲリッチは僕の大好きなピアニストの一人ですが、昔から自由奔放な人という話を聞いているぐらいで、その私生活についてはあまり知りませんでした。
アルゲリッチには3人の娘さんがいるのですが、その父親がすべて違い、この映画を撮ったステファニーは3女でアメリカ人のピアニスト、スティーブン・コヴァセビッチとの間に生まれています。

映画は、アルゲリッチの日常生活、コンサートの様子、古いコンサートのフィルムを挟みながら、カメラを前にしたアルゲリッチにステファニーが話を聞くという形式をとっています。カメラは極端にアップで、ステファニーが今まで知らなかった母について、何でも聞いてみたいという意欲が現れているように見えます。
アルゲリッチは、音楽がすべてという女性なので、母親としては相当に難しい人だったらしく、長女のリダは大人になるまでは母に会ったこともなかったと言います。現在ではヴィオラ奏者のリダはアルゲリッチとたびたび演奏を行っているようですが。
娘だから捉えることのできたピアニストとして、また母親としてのアルゲリッチ、そして難しい少女時代を過ごした三人の娘と母親が、この映画を通してお互いの理解を深めているようにも見える映画でした。

映画の中で僕が良く知っているアルバムの話が出てくるところがいくつかあります。

ラベル 夜のガスパール

ステファニーが「私がお母さんのお腹の中にいるときは、演奏に何か変化があった?」と聞くと、アルゲリッチは「特に変わりはなかったわね。その時はラベルの夜のガスパールを録音していたのよ、私のレコードの中で一番売れたレコードなんだけれどね」というシーンがあります。僕はこのレコードを聴いて、ラベルが好きになったという記憶があります。

シューマン 子供の情景・クライスレリアーナ

また、シューマンという作曲家は私にとって特別な作曲家なの、というシーンもあります。

映画を見て、今度はぜひコンサート会場でアルゲリッチの演奏を聴きたいと思いました。
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住宅と柱
「住宅建築」と言う雑誌が、「柱と建築」と言う興味深い特集を組んでいます。

住宅建築、柱と建築特集

寺社建築と民家に分けて古代から近世まで、日本の建築が柱をどのように扱ってきたか、その変遷を詳しく説明しています。
民家の中で、中世に入って中央に4本の太い柱を建てて、その周りに空間を広げて行く「四つ建て」と言う形式が出てくるというところを読んでいて、ふと昔設計した別荘建築のことを思い出しました。

1980年代、ちょっとした別荘ブームがあったころに、僕の所にもいくつか別荘の仕事が入ってきました。

原村の山荘

最初に長野県の原村で計画をしているときに、歴史的な知識とは関係なく、4本の太い柱を真ん中においたらどうだろうというアイディアが湧いたのです。2間四方に丸太の柱を建てて、その周りに1間半の空間を配置して行くと、広い空間になんとなく領域が生まれて、薪ストーブを中心に親密な雰囲気が出来上がります。中心にしっかりした柱と梁の構造があるということは、構造的にも安定したものになると思えました。

朝霧高原の山荘

その後、静岡県の富士山の麓、朝霧高原で別荘の依頼があった時も、この4本の柱の構造をアレンジして使ってみました。

清里の山荘外観

山梨県の清里高原で設計した時は、建物が今までよりも小振りだったので、4本ではなく2本の太い丸太を使ってみました。
この時は、丁度伊勢神宮を見て、棟持ち柱のことが頭にあったので、棟持ち柱にしてみました。棟持ち柱とは、基礎から立ち上がって長い柱が直接棟木を支える形式のことです。(伊勢神宮は掘立柱なので基礎はありませんが)
伊勢神宮の棟持ち柱は壁から独立して建っていますが、この別荘では壁の位置にあるので、柱が独立していることを強調するために、柱の両側をガラスのスリットとしてみました。

清里の山荘内観

部屋内から見るとこの様に柱が壁に隠れることなく、独立して見えます。

板橋の住宅

小さな住宅では、太い丸太が何本も建つのはやはり少しうるさいので、その頃都内で設計したこの住宅では、居間の中心の1本だけ丸太の柱を建てて、少しシンボル性を持たせるように考えました。丁度民家の大黒柱のようですね。

雑誌の中では、近世にはいって民家の四つ建てはすたれて、一本の大黒柱を建てるようになったとありますが、その大黒柱はどんどん太く立派になってゆくのですが、それは構造的な必要性と言うよりは、あくまでもシンボライズされた柱の存在感からきているようです。

柱と言うのは、構造的に不可欠なものでありながら、どうもそれだけではない形を持っていることが日本建築のひとつの特徴なのだと、自分の昔の設計を思い出しながら考えました。
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「ののの家」一年点検
ハンモックが吊られた居間

この月曜日に去年竣工した、千葉の市川市にある「ののの家」の一年点検に行って来ました。

去年の夏に引き渡しをして、その後秋冬春夏と気温や湿度の変化を一年間経験した建物がどのような状態にあるか点検を行います。
建具の動き、サッシ、網戸の動き、壁や天井のひび割れが無いか、電気や設備、空調等に問題がないかなどを、工事を担当した工務店の監督さんと一緒にチェックして行きます。

1時間ほどの点検で大きな問題はありませんでしたが、何点かの手直しを監督さんに頼んで、近日中にまとめて直してもらうようにしました。

点検が終わった後、いろいろとお話を聞きながらこの一年の感想も聞かせてもらいましたが、とても快適に気に入って住まわれているということでした。特に驚いたのは、2階の子世帯は冬の間ほとんど暖房を使わなかったこと、この夏もエアコンは2度ほどしか使わなかったということです。
1階のご両親の部屋は、深夜電力を使って水に蓄熱する床暖房を設置しているのですが、これもとても快適だったということでした。
暖房や冷房のことは解りやすい話なのですが、言葉では表現しにくい部屋の雰囲気なども気に入っていただいているということは、設計者として、とてもうれしいことでした。

プロジェクターでアニメを見ている息子さん
この写真の様に、北側の壁は普通に窓を開けるとお隣のベランダと面と向かってしまうので、床に近いところと天井に近いところに風抜きの窓を設けて、真ん中は壁にしたのですが、これが丁度プロジェクターの映写膜として活用されていました。

リートフェルト設計、シュレーダー邸
これは、お施主さんが自作した建築模型。90年ほど前にオランダのユトレヒトにリートフェルトと言う建築家が設計したシュレーダー邸と言う住宅です。現代建築の始まり頃の名作で僕も大好きな建築なので、ここで模型を見てついにんまりしてしましました。
この住宅は今も健在で、見学できるそうです。
Posted by kozyken
category:住宅
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