卒業設計審査会
<土曜日に、母校法政大学建築学科の学部の卒業設計審査会に参加してきました。

審査会の様子

熱心に発表をする学生

ここ10年ほど毎年卒業設計審査会に行っていますが作品の傾向が時代によって変化することを興味深く感じています。学生も時代の流れ、世の中の変化に敏感に反応していますから、逆に卒業設計を見ることで、世の中の流れが見えるところもあって面白いものですね。

ここのところ、建築的な造形よりも社会的な問題をテーマにして、いかに社会へコミットしてゆくかという作品の傾向があるのですが、今年はその傾向がより顕著だった気がします.

都市に浸透する小学校

16作品の中から選ばれたのは「暮らしに寄り添う学び舎」という題で、小学校をテーマにして、学校施設が一つの敷地の中で完結するのではなく、地域の住宅地の中に分散されて配置されるという案でした。
分散されることで、学校と地域の住民の間にコミュニケーションが生まれ、地域の人たちが小学生を見守ることで、犯罪に巻き込まれることからも守られるという。
素晴らしいアイディアで、すぐにでも実現できそうなリアリティーもあります。どこかの小学校で採用されたら良いのにと思いました。
いわば地域分散型小学校、ということで思い当たるのは、僕が去年イタリアで体験した、アルベルゴ・ディフーゾが地域分散型宿泊施設と言われていること。偶然かもしれませんが、地域に分散することで住民との交流を図るというところでは通底しているところがあります。

三尺帯
これは、世田谷の「ボロ市」がかって道路と建物の間の三尺の空間を利用していたということを調べて、その三尺という薄い空間で街並みを作り直すという意欲的な作品

深川製材所の復活
これは、かって深川に多く存在した製材所を復活させて、まちの活性化を図るという作品。煙突のような排気塔によって自然換気を促して木材を乾燥させるというアイディアが良かった。

受賞を喜ぶ学生たち



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川崎の複合ビル―2階のコンクリート

お正月気分もすっかり抜けて、先週は忙しい一週間でした。

現場も工事が進んで、躯体、設備、家具の施工図のチェックに加えて、一部変更が出てきたところの図面を書くなど、現場に入ってからも事務所でやる仕事も多くありますが、木曜日には3階までの配筋が終わったので現場での配筋検査がありました。
いつものように構造設計のSさんと一緒に鉄筋の組み方について詳しく検査を行いましたが、電気配管によるコンクリートの被りの訂正程度で、特に大きな問題もなく検査は終了。

2階壁、3階床の配筋検査

設備のスリーブ

翌日の金曜日にはコンクリートを打設しました。前日に雪が降る天気予報が出ていたので、中止するかどうかだいぶ迷ったのですが、予報では降っても1mm/h程度で、雲もまばらな天気図だったので、打設することにしました。結果的に川崎はほとんど雪が降ることはなく問題はありませんでした。

スランプ試験
コンクリート打設前にスンランプ試験を行って、現場の監督さんと

ポンプ車のブーム
コンクリートポンプ車の高所打設用のブーム
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年末に読んだ本
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昨年末からお正月にかけて、続けて3冊の本を読みました。

「単純な脳、複雑な私」(池谷祐二著)、「禅と日本文化」(鈴木大拙著)、「ミケランジェロ」(木下長宏著)。
特に意図的に選んだわけではなく、一見お互いに関係のない内容の本のようですが、続けて読んでいるうちに意外なところで共通点があることに気が付いて、不思議な気持ちになりました。

「単純な脳、複雑な私」は薬学博士で脳の研究者である池谷祐二さんが、母校の高校生9人を対象に脳の仕組み、働きを3回にわたって講義したときの記録です。分かり易く話されているとは言え、かなり高度に科学的な内容で、高校生たちがそれを素直に理解していることにも驚かされます。
そして脳の働き、人間の心の在り方は、思っている以上に不思議な世界であること、あるところからは哲学的な世界に入ってしまうところがあります。
我々が意識していることは、実は我々が意識できない無意識の世界に多くを支配されているようです。

鈴木大拙の本は、日本の美術、武道、茶道、俳句などの文化は多くは禅の影響を受けている、として、そこにおける真理とは知的な作用や体系的な学説からもたらされるものではなく、体験からくる直観によるといっています。
ここで述べられている直観は、無意識の世界、禅でいうところの絶対的な無の世界につながっているところが面白いと思います。
鈴木大拙は、禅は精神に焦点を置く結果形式を無視する、科学とは正反対の思考であるといっています。しかし、科学自体が昔とはずいぶん変わってきて、あるところから先へ進むと禅の精神に非常に近いところが出てくるように思われます。

3冊目の木下長宏さんの本では、ダヴィンチとミケランジェロを比較して、ダヴィンチをコスモスケープの人、ミケランジェロをカオスケープの人と評しています。ダヴィンチは秩序を重んじた科学的精神の人と考えられますが、ミケランジェロは世界は否応なしに混とんの中にあると考えていたようです。
ミケランジェロ最晩年の彫刻、ロンダニーニのピエタでは、大理石の中からキリストとマリアが途中まで掘り出されたところで止まっています。これは未完成なのではなく、ミケランジェロの中では、作品を完成させることが目的なのではなく、そのままあるがままにピエタによって表現される世界を表すことだけが目的だったのではないかと思えます。
そう考えると、形式を嫌い、精神を裸出して、孤絶性、孤独性に還ると、大拙が書いている禅の精神にとても近いものをミケランジェロの中に感じることができます。

ちょっとこじつけのように感じられるかもしれませんが、この3冊の本を読んでそんな感じを受けました。
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あけましておめでとうございます。

今年のお正月は穏やかなお天気で、気持ちの良い三が日です。
のんびり過ごした年末年始の休日も今日で終わりで、明日からは仕事始めです。

今年も気持ちの良い、楽しく生活のできる住宅を作ってゆきたいと思っています。

去年は忙しさのかまけて、ブログの更新も滞りがちだったのですが、今年は
もう少し頑張って書いてゆきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
Posted by kozyken
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