花を運ぶ妹
花を運ぶ妹

池澤夏樹の「花を運ぶ妹」を読みました。

これが僕にとっての、池澤夏樹二冊目。この間読んだ、「夏の朝の成層圏」が彼の処女作でしたが、これは2000年なので、比較的最近の作品。

ストーリーは、画家である兄がアジアを旅行中に、バリ島でヘロインソ吸っているところを現行犯で捕まってしまう。少量のヘロインを買っただけなのに、警察の陰謀で、大量のヘロインの密売容疑に仕立てられ、死刑になるかもしれないという立場に立たされてしまいます。
それを、妹が現地に行き、八方手を尽くして、苦労の末に救助に成功するという話です。

ここでは、「バリ」と言う場所が重要な意味を持っています。バリでいやな目に会うことで、その場所を憎んでいた姉妹は、やがてバリの人々の現実と神々の世界を同じレベルで受け入れる、独特な生活によって、救われてゆくようになります。
西洋的な弁証法の世界ではなく、人間と神々、合理と非合理、拠岸と彼岸の世界を日常的に行き来する生活の中に、自分達が求めているものを見つけて行くようになります。

この小説は、妹の章と兄の章が交互に出てくる構成になっています。これは、すこし前に読んだガルバス・ジョサの「楽園への道」を思い出します。楽園への道では、画家のポール・ゴーギャンとその祖母のフローラ・トリスタンが章ごとに交互に出てくるようになっていました。そして、どちらの章も三人称で書かれていたのですが、「花を運ぶ妹」では、兄の章が三人称で、妹の章は一人称で書かれています。
これは、妹はこちらの世界に、兄は向こうの世界にいることを暗示しているように思えます。向こうの世界とは、刑務所の中であり、死刑になるかもしれないという、死の世界でもあります。そこでは、兄は自分の言葉を持たず、人の言葉で語られる存在なのです。

一番最後の章は、兄が刑務所を出て、麻薬の誘惑からも逃れ、数年後にアンコールワットの遺跡を訪れ、自分が書くべき絵について、啓示を得るところで終ります。
この章だけが、一人称で書かれています。つまり、兄もこちらの世界に戻ってきて、自分の言葉を取り戻したということなのでしょう。
Posted by kozyken
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