日本語が亡びるとき
日本語が滅びるとき


「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(水村美苗―筑摩書房)を年末から新年にかけて読みました。

著者の水村美苗は12歳のときに父親の仕事の関係でアメリカへ渡り、その後20年間アメリカに滞在しながらも、英語になじめず、ひたすら二葉亭四迷、漱石、鴎外、幸田露伴、川端康成などの日本の近代文学を読みながら過ごしていたと言う。
そして、大学ではフランス文学を専攻していたというからかなり変わった経歴の持ち主と言えると思います。

この本の前半では、世界の中での言語のシステムについて、後半では、明治以降どのように国語としての日本語が成立したのか、そしてインターネットの時代に日本語がいかに危機に直面しているかと言うことが書かれています。

言語は大きく、「普遍語」「国語」「現地語」の三つに分類されると言う。
「普遍語」とは、国を超えて智を共有する為に用いられる言語のこと。かっては漢語であったり、ギリシャ語、ラテン語など、普通の人が理解できなくても学問をする人々の間で世界共通語として、叡智を共有して学問を展開することの出来る言語です。
「現地語」とはある地域の民族の中でだけ通用する言語。そして「国語」とは、「普遍語」と「現地語」の中間、その国の公用語として、普遍語に近い働きをする言語と言われています。

興味深いのは、国語としての日本語は、明治に入って欧米の文化を取り入れるために、外国語を翻訳する必要に迫られて、当時の日本の大学(主に東大だが)の教授たちがかなり苦労して作り出したと言うこと。
その教授たちが、鴎外であったり、漱石、内田百、坪内逍遥など同時に日本近代文学の巨人たちであったのは偶然ではない。
つまり、新しい国語の成立が、日本の近代文学の成立を可能ならしめているということです。
もちろん、そのような近代文学が成立する基盤としては、万葉集、源氏物語などの伝統的な日本文学の存在が大きな位置を占めているわけですが。

僕は、言葉と言うものは、時代と共に変化してゆくものと漠然と考えていたのだけれど、そうではなく、かなりの努力の末に作られてゆくものであり、それが日本の文化を創ってきたのだと著者は言っているわけです。
その日本語が、戦後の文部省の国語教育によって、危ういものになってきていると言う。日本人ならば、日本語がしゃべれて、書けることは当たり前と言う前提で、義務教育での国語の時間が削られてきたこと、当用漢字による漢字の制限、新仮名使い等が原因で、それにインターネットの普及による、「普遍語」としての英語の重要性の増大が新たな問題を生み出していると言う。

普段何気なく使っている言葉というものについて、深く考えさせられる本でした。
Posted by kozyken
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川端康成も親しみ宿泊・書かれた修善寺:新井旅館に就職です
はじめまして!・・・お疲れ様です。  1/9書き:修善寺の温泉地:【新井旅館への通勤が厳しいが!?】。第一期ニート時代でしたが早速、由緒ある新井旅館に内定しましたが、通勤メチャ厳しい!【サラリーマン編】 、面白い画像も存分に楽しんで見て下さい。<m(__)m>コメント等いただけたら幸いです。自分の【学生編】当過去ブログにも、当時の写真・面白い・可愛い・画像・動画ありますので、時あれば、楽しんで見てやって下さい。




2009/01/11 09:26 | URL | edit posted by 智太郎
がんばってください
智太郎さん、コメントありがとうございます。

就職おめでとう、がんばってください。
2009/01/11 14:34 | URL | edit posted by 小島建一
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