普請道楽
普請道楽という言葉は今では死語になっているのかもしれません。

ここでも何回か書いた、中野の友人宅の解体に係わって、去年の秋から幾度かその家を訪ねているときに、ふと浮かんできたのが、「普請道楽」と言う言葉です。

茶の間
僕自身は普段、椅子に座ってテーブルで食事をして、ソファーで本を読んだり、テレビを見たりと言う生活をしています。どちらかというと、畳に座って過ごすのは苦手な方かもしれません。
久しぶりにその家の茶の間で、彼のご両親のお話を伺いながら、その畳の部屋の向こうに雪見障子のガラスを通して、初秋の光に照らされた庭を見るともなく見ていると、なんともゆったりとした良い気持ちになってきて、こんな部屋に住んでみたいと思ったものでした。
その原因は何なのか。何度か通う内に解かってきたことは、建築の細部が実に丁寧に作られていると言うことです。

ディテール
家自身は、特別変わった家でもなければ、建築家がかかわっているわけではないのですが、隅々まで行き届いたディテールの積み重ねが、空間に凛とした空気を漂わせています。かといって、決して堅苦しい空間ではなく、数奇屋風のくだけたやわらかさも持ち合わせています。

この家を作った大工、左官、経師や等の職人の腕も良かったのだと思いますが、何よりもこの家を注文した施主に、ものを見る豊かな目と、建築を含む日本文化に対する充分な教養があったのではないかと、想像されます。

倉入口
この家は、昭和の始め頃に、友人の祖父に当たる人が建てたそうですが、その頃はまだ、建築に対しても玄人はだしの目利きの建て主がいて、もちろん財政的な余裕もあったのでしょうが、職人たちに指図をして、自分の気に入るように家を作り上げてゆくことが可能だったのだと思います。

住宅は他の建築と違って、私的な部分が大きな割合を占めます。
そういう意味では、設計者、施工者以上にクライアントの考え方が強く反映されるものだと言えるのではないでしょうか。

Posted by kozyken
category:建築
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