秀吉と利休
秀吉と利休


野上弥生子の小説「秀吉と利休」を読みました。

一月ほど前に大阪へ行った帰りに山崎へ行きました。僕は旅行をする時に、そのたびに関連する本を列車の中で読むことが多いのですが、その時には、この本をアマゾンに注文したのが間に合わず、帰ってから読むことになりました。

秀吉の茶頭だった利休が、秀吉の怒りを買って切腹させられた話は有名です。
百姓の身分から、関白になり、天下に上のない身分になった秀吉が、当時、一流の文化人であった利休に対して、密かに劣等感のようなものを感じていたことは、容易に想像できます。
ただこの話は、そのような単純な話ではなく、世俗の最高権力者と、芸術家として自由でありたいと欲する男の内面を克明に描いているといえます。
物語の途中で、利休の弟子の、山上宗二はその権力に順応するような器用さがない為に、秀吉に殺されてしまいます。ひたむきに、わび茶の世界を求めた挙句に殺された宗二に、利休は深く突き動かされて、次第に秀吉との関係をわずらわしいものと感じるようになります。
話しの傍流として、これは架空の人物のようですが、利休の末の息子、紀三郎の話が語られます。彼は、天下一の茶人である父親に反抗しつつ、自分が何者なのかを見つけられずに苦しんでいます。
この紀三郎の話が、秀吉と利休の葛藤に別の深みを与えているように思えます。
アイデンティティーを失って悩む若者、と言うテーマは、ひどく近代的なものを小説の中に持ち込んでいるように思えるのです。
この紀三郎の話は、なんとなく夏目漱石の小説を髣髴とさせるところがあるのですが、後で調べたところでは、野上弥生子は若い時、漱石に小説の手ほどきを受けたそうです。
そういえば、リズムの良い文体も、どこか漱石の文体を想像させるところがあります
Posted by kozyken
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