「水死」-大江健三郎
水死-大江健三郎


大江健三郎の新刊小説、「水死」を読みました。

僕は大江健三郎の熱心な読者ではありませんが、それでも若い頃から、いくつかの作品を読んできました。
20代の頃には、作品から刺激を受けたり、読んだ後に精神の高揚を感じることもあったのですが、ここ10年ぐらいは、どうもその小説の中に入ってゆくのが難しいと感じていました。
その原因は、たぶん極端な私小説の手法、毎回、大江健三郎自身を思わせる主人公とその家族、そしてなんとなく誰なのか想像できる登場人物たち、と言う構成に、読者として感情移入が難しいということにあるのではないかと思います。(少なくとも僕にとっては)

今回もその構成は変わっていないのですが、読み終わって久しぶりに、大江健三郎の作品を堪能できたような気がしました。
大江健三郎はこれを最後の小説作品と考えているようです。その中で、書いておきたいことを全て、この作品で語りつくす仕事をしたのではないかと思います。

中心のテーマは、終戦直前に不可思議な成り行きで、大水の川で水死した父親をめぐるものですが、彼と障害を持つ息子との関係も語られることによって、二世代にわたる父と男の子の関係が語られます。それに対して、母親と妹、彼の作品を演劇として演ずるウナイコなどの女性陣の、又別な思考と行動があります。
その対立の中で、故郷の四国の森の歴史と神話が軸となって物語は、さまざまな問題を含みながら展開して行きます。

大江健三郎の小説の中では、いつもこの故郷の森の神話が、大きな働きをしています。
NHKのインタヴューで、彼の故郷では、人は死ぬと森に帰ってゆき、次に生まれ変わるまで一本の木に戻るといわれているそうです。
その番組で、森の大きな木に手を掛けて、「これが僕の木なのです」、と言っている、大江健三郎の姿が印象的でした。
Posted by kozyken
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