阿房列車―内田百閒 漱石と歩く、明治の東京―広岡祐
本二冊

なんとなく、関係なくもない二冊の本を平行して読んでいます。

前から読もうと思っていた、「阿房列車」を買ってすぐに、大宮駅の中の本屋で「漱石と歩く、」を見つけて買ったので、特に関連付けて読もうと意図したわけではないのですが。

阿房列車は、戦後すぐの1950年代、戦争が終わってやっと自由に旅行が出来るようになり、今までの反動からか内田百閒が目的もなくただただ列車に乗りたいがために、日本中を旅すると言う話です。
阿房列車に乗って目的もなく出かけるのだけれど、帰りには東京へ戻ると言う目的が出来てしまうから困ったものだ、と言う百鬼園先生独特のレトリックと諧謔、ユーモアに溢れた文章の間に、時々はっとするような美しい表現が隠れています。
内田百閒ほど、文章が持っている表現の力を感じさせる作家はいないのではないかと思います。
必ず百鬼園先生の旅に同行する、ヒマラヤ山系君のとぼけた味もこの本に独特の風味を添えています。

阿房列車が今から60年ほど前の話だとすれば、「漱石と歩く、」はさらに60年前、明治の中ごろから大正にかけての、夏目漱石にゆかりの町を想像しながら歩いてみる本です。
東京の120年前の町並みは、当然ながら高層ビルやマンションが建って変わっているところはありますが、意外なほどそのその面影を残しているところも多いと言えます。
早稲田、本郷、小石川、浅草、神田などは、一歩裏通りに入ると古い町並みが垣間見えます。

この本を読んでちょっと驚いたのは、僕はここに出てくる道筋のほとんどを今までに歩いたことがあることでした。
学生時代からかなり長い時間を東京で過ごしているのだから当然と言えるかもしれませんが、知らない道を歩くのが好きで、仕事がらみで出かけるときでもついつい裏町を探しながら歩く癖があるせいかもしれません。

漱石の小説には、町並みを詳しく描写しているところが良く出てきます。
この本を読んで、もう一度漱石に思いを馳せながら東京の裏町に迷うのも楽しそうです。

蛇足ですが、内田百閒は夏目漱石の晩年の弟子にあたります。
Posted by kozyken
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