抽象化と自然
明月院方丈の丸窓

昨日の朝のNHK、日曜美術館は、縄文時代の土偶の特集をやっていました。

その中で、縄文初期と言われる女神像がとても美しく、目を引きました。
女神像と言うとすぐに、ルーブルにあるサモトラケのニケ像を思い出しますが、あのニケ像に劣らない美しさです。ただ、ニケが衣服の繊細な襞までリアルに表現して具体的なのに対して、縄文の土偶は顔もはっきりせず、胸は平面的で非常に抽象的です。
しかしそれは、技術的に劣っているのではなく、高度に抽象化する意思がその中にあって、一つ一つの線が、考え抜かれて、これ以上少しも足すことも引くこともできない完成度を見せています。

西洋の美術は、ギリシャ、ローマ、そしてその復興としてのルネッサンスと、常に事物をあるがまま具体的に描くところに特徴があります。それは、根底に人間中心主義があり、あらゆるものを、人間の目を通して見えるままに描くという思想の結果でもあると思うのです。

それに対して、日本の美術は常に事物を抽象化して描く傾向があるように思います。縄文まで遡らずとも、江戸期の俵屋宗達、尾形光琳などの造形にはものすごくモダンな抽象表現があります。それが、19世紀西洋の美術に大きな影響を与えたのもうなずけるものがあります。
日本では、事物の有り様は決して一つの視点から、人間の目を通してのみ見られるものではなく、もう少し相対的なものとして捉えられています。時間でさえも絶対的なものではなく、空間と共に相対的に捉えられていることは、中世の物語絵巻を見ていると良く解ります。

丁度、前日に鎌倉の明月院を訪れたのですが、裏庭に向かって開けられた丸窓が、ことのほか美しいことに目を奪われました。この丸窓は、明月院の名称から月を表していることは解りますが、丸の下が少し欠けています。これによってこの円が月であることを表しているのです。これが西洋だったら、もっと具体的に月を表す装飾が付くのでしょうが、日本人は、このような抽象表現を好み、誰でもそれに納得する教養を持っていると言えるのかもしれません。
この窓は裏庭の景色を丸く切り取るだけでなく、障子の開け具合で様々な形に切り取るのです。
ここには、人間、月、風景を相対化する日本人の感性が見事に表れているように思います。
僕の仕事でも、窓をこのように扱えたらといつも思っているのですが、とても難しいことです。
Posted by kozyken
category:建築
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