土曜日に、上野の国立博物館で開催されている、「栄西と建仁寺」展へ行ってきました。

栄西と建仁寺にまつわる様々な絵画、書、彫像などが展示されていて見ごたえのあるものでしたが、僕の一番の目的は俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を見ることでした。

俵屋宗達の風神雷神図屏風

僕は、日本の美術の歴史にあまり詳しい方ではありませんが、この俵屋宗達と本阿弥光悦の二人の残した仕事にはずうっと興味がありました。
17世紀初め、つまり江戸期の初めにこの二人が協同した仕事は、扇絵であったり、屏風であったりと、具体的なものでありながら、非常に抽象性の高いヨーロッパの20世紀の絵画を先取りする感覚があります。
400年も前にこのように優れたデザイン感覚が日本人の中にあったことに驚くのですが、もともと日本人の中には、世の中の事象をそのままストレートに描くのではなく、いったん抽象化して描くという特別な能力があったのかもしれません。それが日本人独特の自然観になっているのかもしれないと考えられます。

風神雷神図屏風の魅力の多くは、風神と雷神の配置にあるのではないかと思います。
雲の乗ってこれからひと暴れしようと掛け合っている風神と雷神が描かれていますが、風神は右上ぎりぎりに描かれて、風袋と風にたなびく腰紐の一部は画面からはみ出しています。それに対して雷神は画面の左上に描かれて、背中の太鼓が大きく画面からはみ出しています。そして雲に踏ん張っている足の裏が大きく見えていることがことさら浮遊感を強調しています。
この配置の妙によって、風神と雷神が軽やかに空の上を動き回る動きが生まれています。

この日は本館に常設展示されている、尾形光琳の風神雷神図屏風も比較して見ることが出来ました。光琳のこの絵は宗達の絵の忠実な模写ですが、比較してみると雷神の位置が幾分下がっていて、太鼓もはみ出すことなく画面に収まっているのですが、このことで宗達の絵の持っていた軽やかな動きがそがれているように感じます。また雲が、宗達に比べて黒々と描かれているので、風神と雷神が浮かび上がる効果はあるのですが、宗達の絵の持っている軽身が失われています。
尾形光琳の風神雷神図屏風

宗達の絵は近代絵画のコンポジションを先取りしているような非常にモダンな感覚を感じることが出来ます。

Posted by kozyken
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