「立原道造の夢見た建築」
立原道造の夢見た建築


僕の大学の後輩にあたる種田元晴さんが「立原道造の夢見た建築」(鹿島出版会)という本を出版したので読んでみました。彼は建築の歴史を専門とする若き研究者です。

立原道造は詩人として有名なのでご存知の方は多いと思いますが、彼が建築家であったことを知っている人は少ないのではないでしょうか?その建築家としての立原道造に焦点をあてて書かれたのがこの本です。

著者である種田さんは、立原の建築作品、そのためのスケッチ類、詩作のみならず、絵画友人たちとやり取りした書簡等を丁寧にしらべて、彼の生涯を浮き彫りにしています。
立原道造は24歳という若さで夭折していて、建築家として活躍したのは学生時代と卒業後就職した石本喜久治建築事務所を合わせてもたった4年間という短い期間でした。
立原が筆まめで、短い生涯に多くの文章を残しているとはいえ、著者にとってこれだけの内容の本を書くのは並大抵の努力ではなかったはずと感じました。

どちらかと言えば地味なテーマのこの本を読者に最後まで読ませる文章力にも感心させられました。

80年ほど前のこととはいえ、すでに歴史の中に埋もれて、綿密な調査をしても解らなかったことも多かったはずです。この本の魅力の一つはそのような未知のことに関して著者が縦横に想像力を発揮して、読者を納得させる文章にあると思います。
それは、立原の「無題{浅間山麓の小学校}」の透視図とセザンヌのサント・ヴィクトワール山との類似に及ぶくだりや、同じ「浅間山麓の小学校」と丹下健三の「大東亜建設忠霊神域計画」との比較などに大きくみられるのですが、もっと些末な部分にもいたるところに見られます。
例えば、追分に滞在しているときにはじめて一学年下の大江宏と会ったことを友人にあてた手紙の中で、最初は「大江さん(父の新太郎)の子供が来ているよ。宏って建築の人」と、他人行儀に語っていながら、1か月後に大江宏が帰った後には、「昨日、大江宏君が、東京に帰って行った」という言い回しから、著者はどこか祭りの後のような寂しさを感じると書いています。この1か月の間の立原と大江の交流を示す資料が何もなくとも読者には、一瞬にして二人の関係を想像させる卓越した表現ではないでしょうか。

この本の中に現れる、多くの人々と立原との関係の中にこのような場面が数多く用意されていて、それがこの本を無味乾燥な研究書以上のものとして、読者を最後まで引っ張ってゆく力となっているのだと思いました。
Posted by kozyken
category:
comment(0)    trackback(0)

comment
comment posting














 

trackback URL
http://bwv828.blog31.fc2.com/tb.php/970-68664bd6
trackback