年末に読んだ本
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昨年末からお正月にかけて、続けて3冊の本を読みました。

「単純な脳、複雑な私」(池谷祐二著)、「禅と日本文化」(鈴木大拙著)、「ミケランジェロ」(木下長宏著)。
特に意図的に選んだわけではなく、一見お互いに関係のない内容の本のようですが、続けて読んでいるうちに意外なところで共通点があることに気が付いて、不思議な気持ちになりました。

「単純な脳、複雑な私」は薬学博士で脳の研究者である池谷祐二さんが、母校の高校生9人を対象に脳の仕組み、働きを3回にわたって講義したときの記録です。分かり易く話されているとは言え、かなり高度に科学的な内容で、高校生たちがそれを素直に理解していることにも驚かされます。
そして脳の働き、人間の心の在り方は、思っている以上に不思議な世界であること、あるところからは哲学的な世界に入ってしまうところがあります。
我々が意識していることは、実は我々が意識できない無意識の世界に多くを支配されているようです。

鈴木大拙の本は、日本の美術、武道、茶道、俳句などの文化は多くは禅の影響を受けている、として、そこにおける真理とは知的な作用や体系的な学説からもたらされるものではなく、体験からくる直観によるといっています。
ここで述べられている直観は、無意識の世界、禅でいうところの絶対的な無の世界につながっているところが面白いと思います。
鈴木大拙は、禅は精神に焦点を置く結果形式を無視する、科学とは正反対の思考であるといっています。しかし、科学自体が昔とはずいぶん変わってきて、あるところから先へ進むと禅の精神に非常に近いところが出てくるように思われます。

3冊目の木下長宏さんの本では、ダヴィンチとミケランジェロを比較して、ダヴィンチをコスモスケープの人、ミケランジェロをカオスケープの人と評しています。ダヴィンチは秩序を重んじた科学的精神の人と考えられますが、ミケランジェロは世界は否応なしに混とんの中にあると考えていたようです。
ミケランジェロ最晩年の彫刻、ロンダニーニのピエタでは、大理石の中からキリストとマリアが途中まで掘り出されたところで止まっています。これは未完成なのではなく、ミケランジェロの中では、作品を完成させることが目的なのではなく、そのままあるがままにピエタによって表現される世界を表すことだけが目的だったのではないかと思えます。
そう考えると、形式を嫌い、精神を裸出して、孤絶性、孤独性に還ると、大拙が書いている禅の精神にとても近いものをミケランジェロの中に感じることができます。

ちょっとこじつけのように感じられるかもしれませんが、この3冊の本を読んでそんな感じを受けました。
Posted by kozyken
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